今回の『終わりにする、一人と一人が丘』の公演を以て、鳥公園で私が劇作と演出を兼ねる体制を終わりにします。「いったん」になるのか「ずっと」になるのかは分かりません。少なくともここから3年、劇作家・主宰の西尾と、和田ながら(したため) 、蜂巣もも(グループ・野原)、三浦雨林(隣屋)の複数演出家体制でやってみます。それに伴い、鳥公園は「演劇作品を上演する団体」というよりは「広く演劇的営みのプロセスが生成される〈場〉」になります。

 

 

 前提 ―― 作品というのは、whatではなくhowである 

 

 作品というのは、

 〈what = 何を扱うか〉ではなく、

 〈how = whatをいかに扱うか〉だと思っています。

 〈how〉とはつまり、他者に対峙する姿勢であり、他者と関係を結ぶ仕方のことです。

 

 演劇は、関係の芸術です。関係というのは、複数の関係が同時に存在していて、(戯曲と演出家・俳優・スタッフ)(演出家と俳優)(俳優とスタッフワーク)(上演と観客)(戯曲の書かれた時代・地域と上演される今・ここ)などなど、この複数の関係の総体が演劇です。

 複数の関係が同時に存在するというのは、複数の声が響くことでもあります。

 「一人の指揮者がいて、一つの曲を多くの楽器で統一的に演奏する」シンフォニー(交響曲)に対して、「複数の独立した声部がそれぞれが違う曲を奏でていながら、全体として調和を生じる」ポリフォニー(多声音楽)がありますが、私はポリフォニックな演劇がつくりたい。そう考えたとき、作・演出・主宰を一人で兼ねていることがどうしても矛盾していると感じるようになりました。

  複数性の演劇のために1 ―― 人が集まる集まり方の、新しいモデルを考える 

 

 2年前に俳優に言われて、ずっと私の中に留まっている言葉があります。「演出家はみんなの父親みたいなものなんだから。」私の中で、何かが完全に停止しました。むしろそういうものと闘う気持ちでやっていた。これは根深い。かなり根本的なところから関係性を変えないと、とても作品はつくれない。

 そこから一人になって沈黙して、考えていました。なんだか東京にはいられなくて、演劇のシーンも自分の生きていることと関係があると思えなくなって、京都に行って、城崎に行って、名古屋、静岡、クアラルンプール、ペナン、サンダカン、また京都、名古屋、城崎、岩手、釜ヶ崎、寿町、天草、島原、長崎、韓国、広島、台北 、でもずっと日本のことを考えていました。なぜ私たちは今、こういうことになっているのか? 日本の演劇の流れのことも考えていました。

 

 創作のための集団が家族になぞらえられるようなあり様が、私には受け容れがたい。でも国家、会社、家族といった集団がすべて相似形になっていて、強い親分的なリーダーの下に兵隊たちがいて、ものが生産される、というモデルはなかなかに根強く浸透していると思います。学校や家庭や職場など、前の時代から続いているシステムの中で私たちは日々否応なしに振り付けられていて、「この方法はもうダメだ、つらい!」ということまでは言えても、それとは異なる振る舞いを生み出して実践することは難しい。個人単位の気持ちや心構えで対応するのでは限界があって、システムから変えるしかないんだと思います。だから、これまでと違うフローで言葉が交わされ、アイディアが試されて熟し、人が自分の足で立って自分の頭で考えて、成熟していける〈場〉をつくりたい。人が集まる集まり方の、新しいモデルをつくりたい、と思います。

 

 

  複数性の演劇のために2 ―― 作・演出・主宰を分ける 

 

 作と演出を分けることは、言葉でひとつの世界を綴じる工程と、戯曲の世界を身体言語によって上演へと立ち上げる工程を、分けることです。演出と主宰(≒プロデューサー)を分けることは、芸術上の判断と運営上の判断を分けることです。

 劇作家と演出家、演出家と主宰が異なる立場から対話することで、単なる「好き/嫌い」や「快/不快」 という価値に留まらない、世界の複雑さを複雑なままに提示する複数性の演劇を実現します。

 

 複数演出家制というのは何かというと、鳥公園は所属する人を抱える集団ではなく、建物のない劇場のようなもので、そこのアソシエイトアーティストとして複数の演出家がいるイメージです。プラットフォームとして、戯曲があります。

 現代の日本の劇作家の書いた戯曲の多くは、たった一つの上演とだけイコールで結ばれて、「戯曲と上演の関係が演劇」と捉えられることはほぼないように思います。でも戯曲は本来、多様な上演の可能性を孕んだ種のようなものです。複数の演出家とチームを組むことで、戯曲と上演の関係性が広く想像され得る状態をつくりたい。

 また演出家同士にとっても、問題意識を共有したり、お互いに批評を書き合ったりするようなゆるい連帯が、長くつくり続けていく人生を助けてくれるのではないか。作と演出を兼ねているといないとに関わらず、主宰は孤独です。追求していることを見つめ続けてくれる存在が、創作現場の内側以外にもいることは、大きな支えになると思います。「自立とは、依存先を増やすこと」というのは小児科医の熊谷晋一郎さんの言葉ですが、演出家それぞれが主宰している集団と鳥公園とを行き来しながら、それぞれに、みんなで生きていく形を探したいです。

  複数性の演劇のために3 ―― 広く演劇的営みのプロセスが生成される〈場〉とは? 

 

 シアターピースの上演だけが演劇の活動ではありません。でも今の日本の演劇のシステムの中では、シアターピースを上演することが活動として一番分かりやすく、観客が触れることができるのも、評価の対象になるのも主にそこです。

 が、良い作品が生まれるためには表に現れてこない様々な時間の過ごし方が必要で、作品に直結しない部分でもアーティスト同士がたくさん言葉を交わすことや、最終的な作品には残らないある意味「無駄」と思われる試行を重ねること、リサーチといったプロセスも演劇的営みの重要な部分です。そういう、これまではほぼ無いものとされてきた部分を掬い上げ、創作現場の内部にいる人以外にもプロセスが見えるようにする働きを、〈場〉としての鳥公園で担っていきます。

 特に若いアーティストが、新作をどんどん発表することに必死になって疲弊しがちなのは、アーティスト側の問題という以上に文化政策における評価側の問題が大きいと思います。個人の天才性やタフさに依存して、からがら生み出される成果を摘み取るだけでは、焼け野原になります。つくり続けながら生きていくために、成熟が可能な環境をアーティストの側から実践・提案したいと思います。

 

 

  複数性の演劇のために4 ――〈パブリック〉を構築する 

 

 もう一つ考えたいこととして、観客との関係があります。

 

 「アーティスト」として公的支援を受けるようになってからずっと、どこかで居心地の悪さを感じていました。公的なお金や発表の機会が芸術に与えられることに、業界以外の人は全然納得していない感じがする。そしてこの少ない(しかも今後さらに減っていくらしい)パイを、「それでもないよりはあった方がいい」ということだけで奪い合ったとして、一体どういう未来につながっていくのか……?

 私は助成金や公共劇場ネイティブ世代で、一応芸術大学でアートについて学んだ者でもあるのですが、それでも「公的な支援を受けるって、どこかに『上手くやってる』みたいな罪悪感あるわ……」と思ったりします。これはつまり、舞台芸術界(というか、より広くアート業界)の中の論理と、外の生活実感が食い違っているということなんだと思います。そしてこの論理が私のアタマにはインストールされましたが、この気候風土で暮らしている身体の腑に本当に落ちているかというと、接ぎ切れていない感は否めません。

 

 日本の文化芸術の支援体制はまだまだ建設中で、アーティストが当事者として制度自体をつくることにコミットしていく必要があるはずですが、実際は受給者の枠になんとか入ろうと一生懸命になるか、制度に批判的で距離を取るかに分かれてしまっている気がします。自戒を込めて。

 それから演劇を観ることが好きな観客の人たちも、創作現場の内側にはいないけれど、業界の中の人です。でも創作をめぐる状況についての議論から、観客は除かれているように思います。

 

 〈パブリック〉の訳語は〈公〉ですが、〈パブリック〉の中身が〈私たち〉であるのに対し、〈公〉は〈お上〉もしくは〈世間〉というニュアンスで存在しています。そのどちらにも、顔を持った〈私〉はいません。

 どうしたら芸術活動は成立するのか? 自分には何ができて、何を必要としているか?

 「私には演劇が必要」と思う当事者たちが、演劇をつくって/観て生きている自分の言葉で、顔の見える〈パブリック〉を構築していくことから、未来が生成されるはずです。

 

西尾佳織

鳥公園 新体制についてのステートメント 

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